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日柳 燕石(くさなぎえんせき 1817-1868)享年五十一歳。


幕末の勤王家。名は政章。通称、加島屋長次郎。讃岐(さぬき)の人。文字通り侠客博徒である一方、詩文に優れ、勤王の志も厚く、長州・土佐の尊攘派を助けて活躍。琴平に日柳燕石胸像があります

ものの本によると勤王博徒と紹介されている。元々「草薙」という姓であったが、三種の神器に繋がるのは恐れ多いと、「日柳」と改姓したという。

司馬遼太郎の「世に棲む日日」では"呑象楼主人"とわざわざ一章を設けて四国に逃れてきた高杉晋作とそれを匿う日柳燕石の姿を描いています。
『燕石が学者のくせに骰子、花札を好み、賭場をもち、乾分をかかえて博徒の親分でいることを非難した者がいる。そのとき燕石は、「あなたのおっしゃることは逆である。自分は決して学者ではない。生粋の博徒である。しかしながら博徒にして学を好む、まことに殊勝な男とほめてくださるのが本当ではないか」と、笑い飛ばしたという。』

高杉晋作のほか、長州の久坂玄瑞、土佐の中岡慎太郎らと交友がありました。
高杉は、慶応元年(1865)、当時、伊藤俊輔、井上聞多とともに下関開港を藩庁に説いて、それが攘夷派の知るところとなり、長州に居られなくなり、愛妾おうのを連れて四国へ逃避行に出ました
その途中、琴平の呑象楼に匿われた。やがて幕吏の知るところとなり、高杉は逃れたが、燕石は匿った罪を問われて投獄された。
王政復古とともに燕石も牢から出獄し、官軍の東征に従軍。しかし長年に渡る牢獄生活が祟ったのか、戊辰(ぼしん)戦争に従軍中、柏崎で病死しました。

高杉家長男として生まれていると思うので、兄はいないと思います
弟の記述も、今のところ見ていないので、兄弟はいないと思われます。

奇兵隊を創設したときの協力者に、「白石正一郎」という人がいて、この弟に「廉作」という人がいます。
「廉作」は奇兵隊隊士として戦死しているようです。この方を晋作の兄弟等と勘違いしているとかではないでしょうか?おもしろきこともなき世をおもしろく。のブログに参考しました。

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このページは、freeplusが2010年1月27日 14:03に書いたブログ記事です。

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